アメリカの農業 2
シンプロットの20工ーカー、マガートの40工ーカーの土地からの収穫を処理するのです。
しかし、事はそのようには運ばなかったのです。
キャシア郡では初めての選別機を独力で据え付け、それを使っているうちに、たくましいこの青年は、アイダホのジャガイモ産業にとってこの機械は単なる仕事の改善どころではなく、革命ともいうべきものだということに気がついたのです。
彼は仕事仲間を雇い入れ、地下貯蔵庫を作り、やがて他の農家のジャガイモの選別も引受けるようになりました。
すぐに憤慨と反対を叫ぶ抗議の声が、ジャガイモの処理と同様の速さで殺到し始めました。
この機械のせいで〈仕事がなくなる〉というのです。
一方、シンプロットの機械は小さいために希望者すべてのジャガイモを引受けることができなかったのです。
リンゼイ・マガートの友人の有力者のなかにもそれに漏れる者が出てきました。
1928年冬のある午後、この年長の農場主は顔を紅潮させてシンプロットの倉庫に怒鳴りこんできて、こんな仕事はもうやめうと言いました。
・・・機械の半分は自分のものだ、それを使うのは我々の作物だけにして、こんな抗議や他人の仕事に影響を及ぼすようなことは一切避けるようにしろと言いました。
しかしそうすると、青年はこの倉庫を去り、加工業をやめて、専業農家に戻らなくてはなりません。