アメリカの農業 4
バーレイ、デルコ、ブラックフット、ビュール、アバディーン、ポール、イートン、マータに倉庫を建てました。
その後これもまた別の〈劣等財〉であるタマネギに手を広げ、活動の中心を州の西部のコールドウェルに移しました。
この新しい分野でもキングズ・フェリー、マウンテン・ホーム、ナンパ、コールドウェル、エイドリアン、マーシング、ジェイムスン、ヴェイルに倉庫を新設しました。
1936年、ブールノウ牧羊会社を買い取って、少年時代の夢を実現し、スネーク川を見下ろす見晴しがよく灌概も整った牧畜場に移りました。
川は今も緑色に流れていました。
1940年には、シンプロットはジャガイモとタマネギの倉庫30に選別機をそれぞれ3台置き、約千人の作業員を雇い、年間およそ一万貨車分の作物を出荷していました。
選別していないジャガイモ1袋を5セントで買い、選別ずみのジャガイモを1袋15セント、一貨車に詰め込んだ360袋を54ドル40セントで売りました。
〈大恐慌〉時代の10年が終る頃には、この事業は年間50万ドルを超える収益を上げていました。
しかし、それはやはり利ざやの薄い商売でした。
一貨車あたり〈わずか1ドルか2ドル〉のもうけにすぎなかったのです。
彼は〈1ドルの価値〉を頭にたたき込んでいます。
純益は年約1万5千ドルでした。